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会派の行政視察報告第二弾です

会派(ニュー石巻)の1月下旬に行った行政視察報告第二弾です。徳島市と南あわじ市の報告となります。

【徳島市の市民満足度について】

まず、調査の目的ですが、市民参加のまちづくりは言うに易し。しかし、一部の声が「市民の声」なったりしていることもあります。石巻市でも広報広聴事業に力を入れていますが、その大半は20年以上も前に作られ、改良されて今に至っていることから原点に返り、再構築すべき必要もあると考え、徳島市の市政への市民参加のあり方を学ぶことにしました。

市政において最も気になるところは、実施される施策が市民にどのように捉えられているのかという点です。市民の目線、市民の視点に立って、あるいは市民参加のまちづくりとは言うものの、そう単純ではありません。平成19年、徳島市は総合計画を策定し、それを受けて平成20年に初めて実施されたのが「市民満足度調査」です。

この調査は、単なる市民の意識調査ではなく、第4次総合計画体系に基づく42施策全般にわたって、その重要性や満足度について市民がどう感じているかを数値として捉えるものです。

分析を行い、その結果を市の施策についての評価や、今後の施策の取り組みについて検討するうえでの参考として活用され、また、市民が望む行政サービスを隔年でアンケートを実施することによって、市民に市政への関心と理解を深めてもらう目的もあるとのことでした。

調査対象は、市内在住の18歳以上の男女3,000人を無作為に抽出、調査票は郵送にて配布、郵送にて回収、調査期間は平成20722日~85日回収、結果は発送数3,000件、回答数1,076件、不明戻数25件、有効回収率36.2%となっている。

統計学的には40%あれば信用性があるといわれますが、回収率をいかに高めるかが次回への課題となっていました。

【徳島市まちづくり意見提出制度について】

本制度は、市の基本的な施策などに関する計画や条例を策定する場合に、予めその計画などの案をホームページや窓口で公表し、これに対して市民などから意見の提出を受け(パブリックコメント)、提出された意見を考慮して意思決定を行うとともに、当該意見に対する考え方を公表する一連の手続きです。

その目的は、市の政策形成過程における市民参加の促進、公正の確保および透明性の向上を図ることにより、市民とのパートナーシップによるまちづくりの推進に資することにあります。

募集期間は約1ヶ月間程度で、この制度に意見を提出できるのは、市内に住所を有する人だけでなく、市内に通勤・通学している人、市に事業所がある団体、市外に居住する利害関係者なども含めて、市の計画や条例案をより良くしたいという気持ちを持っている人なら誰でも意見を提出できるものです。

市の基本的な計画や条例を制定する際、市民から広く意見或いは感想を求めるパブリックコメントの導入は、今や国・地方自治体にとって一般的な手法となっています。

徳島市は、平成1810月に初めてこの手法を取り入れましたが、平成20年度までの3年間10案件中『意見無し』が5割あり、今後は、いかに多くの意見を募集していただくか、工夫が必要ということでした。

【広報広聴・市民参加の市政】

石巻市の広報広聴事業の多くは、既に20年以上前に設けられた内容が主です。「市長と話す茶屋」など、新石巻市になって多少の手直しがあるものの、市民の一体感の醸成に成果が見られる内容に至っていないなどことから、抜本的な見直しが必要と考えます。この辺を新市長はどう考えているかー興味があります。

満足度調査等で市民の声を把握しながら、計画立案、執行方法を考えることも、市民の目線に立った行政運営に結びつくと考えます。

【南あわじ市議会議員政治倫理条例について】

まず、調査の目的ですが、石巻市は平成17年4月に合併、新市になって4年。議員は平成18年にやり直し選挙があった関係で、任期は来年5月末まで。この間、議会運営委員会を中心に議会改革とそれなりに取り組んできました。また、この間何度か地方自治法の改正もあり、二元代表制の中での議会、議員の在り方を、それぞれが自問自答してきました。特に、石巻市では議員の品格、言動が元でコンプライアンス条例も生まれ、庁内のあちこちに「絶つ 不当要求行為」のステッカーが貼られています。その後も何度か議員の品位、品格が問われてきました。そんな中、会派として議員として襟を正す上でも、南あわじ市の条例化は貴重な研修となると考えました。

南あわじ市は、平成17年1月11日、淡路島南部の三原郡4町が合併して誕生した市です。合併前の旧2町において、すでに倫理条例を制定しており、合併協議のなかで、合併後新市において検討することとしていたものです。これを受けて、平成17年3月定例会において、議会内に調査特別委員会を設置し、検討に入りました。

その委員会は、政治倫理の基本となる条例を定め、「市民全体の奉仕者として政治倫理の確立向上に努め、誠実かつ公正にその職務を行い、清浄で民主的な市政の発展に寄与する」ための調査研究を行うことを目的とし設置しました。委員会は15人の委員で構成し、6回の委員会開催後、6月定例議会に報告書が提出されました。

そして、「南あわじ市議会議員政治倫理条例」を議員発議し、可決され、平成17年9月1日、当局側と同時に施行しました。

その後、市長選挙のしこり等で市民からの調査請求が増加したこと等により、平成19年3月に条例改正のために、再度特別委員会が設置されました。主な改正点は、「調査請求時の人口精査等」「市から助成を受けている団体の範囲」「市民の調査請求権」「違反していた場合の議員及び議会の処置」「請負契約等の辞退に関わる親族の範囲」

などどなっており、平成21年1月に改正条例として施行されました。

条例等の概要ですが、骨子は「政治倫理基準の制定(不正疑惑行為の禁止)」「市が発注する工事等に関する遵守事項の制定」「政治倫理審査会の設置」で、次の6項目が条文化されています。

①問責制度

・不正疑惑行為の自粛

・地位利用の金品授受の禁止

・市が行う許認可、公共工事の請負等の斡旋禁止

・市職員の職務執行に対する不当介入の禁止

・市職員採用、昇格、移動の斡旋禁止

・市が活動、運営に助成する団体等の役員就任の自粛

・道義的批判のある企業献金の自粛

②市工事等の遵守事項(条例第12条)

これは禁止規定ではなく努力規定であり、市が行う工事等の請負契約、業務委託契約及び一般物品納入契約(請負契約等を締結した企業との間の下請け工事、業務委託及び一般物品納入)について準用するものです。

親族の範囲については、3親等で広すぎるため、2親等および同居の家族としていました。

③資産公開制度審査会の求めに応じて行う。(義務はない)

④市民の調査請求権をみとめている。

⑤政治倫理審査会の設置

長の権限であるため、長の設置する審査会に議員に関する審査をゆだねる。委員は市長が議会と協議の上委嘱する。

⑥問責制度について

イ、議員が違反している旨の指摘がなされたときは、議会として処置を講ずることができる。

ロ、逮捕後の説明会

ハ、起訴後の説明会

 ニ、一審有罪判決後の説明会

 ホ、有罪判決確定後の処置

説明会開催請求により、市民が直接当該議員の政治責任を追及する機会を保証しています。また、議員は原則市から助成を受けている団体の長にはつけないことも規定していました。

南あわじ市では、細部にわたって倫理規定が網羅されていました。かつて石巻市においても口利き等が問題化して、百条委員会が設置され、あるいは裁判にまで発展した経緯があります。不当要求、口利き等も完全に無くすことは難しいと考え、議員としての強い自制が求められます。二元代表制(市長も議員も共に有権者の選挙によって選ばれている住民代表)のもとでの議員のあり方、品格が問われている現状のなかで、本市としても、さらなる条例の整備をはかり、対処して行くべきと考えます。

【兵庫県南あわじ市少子化対策について】

まず、調査の目的ですが、石巻市も「子育てするなら石巻市」と理想を掲げています。しかし、行政の縦割りで施策全体が見えません。「頑張る地方応援プログラム」も、20年度はわずか2項目で、2,151万3千円だけでした。南あわじ市の場合、幼児から児童生徒まで幅を広げているものの、行政の縦割りを廃し、多項目(20項目、20年度予算で3億3,135万4千円)にわたる事業・施策は目を見張るものがあります。「子育てするなら南あわじ市」のメッセージが伝わってきました。改めて「子育て支援」のあり方を考えるきっかけになると考えました。

平成17年1月に、緑町、西淡町、三原町、南淡町の4町が合併して人口約54,000人の南あわじ市が誕生しました。その中で、まちづくりを考える委員会が市民からの公募で100人委員会が発足し、新市の将来像を考えるとき、今後、毎年人口が約400人ずつ減少することが予測され、人口減少が町の衰退につながる事から、子育て支援や縁結びについて考えようということになりました。

また、市の総合計画基本構想で、10年後、人口5万人を下回らないことを基本としており、そのためには、活力を維持し、永続的な発展を目指し人口減少による少子高齢化に対応した政策を総合的に展開。そして、少子対策関連事業等の部局間調整、連携強化により、出生率の向上を図ることを目的に平成19年1月に市長を本部長とする少子対策推進本部が設置されました。

少子対策としての窓口を一本化にするために、平成19年4月に「子育て支援」「結婚促進」「定住促進」「男女共同参画推進」等の4事業を展開して行く事を目的として健康福祉部の中に少子対策課が新設され5人体制で本格的に始動しました。同4月、少子対策事業を中心に目標数値、人口動態統計における出生数を増加させ、5年後[平成23年]に合併時の410人を目標とし、頑張る地方応援プログラムが策定されました。

◇平成20年度の南あわじ市少子対策の主な事業内容◇

1、結婚促進事業・[南あわじ市縁結び事業推進協議会]19年~

つまり、官民一体で結婚を推進していくための縁結び事業です。具体的には①ハッピーマジックの会・独身による独身のための出会いの会=幸せな出会いは、理屈でなく「ハッ!」とくるものがある不思議な力「マジック」と言う狙いです②ハッピ-応援団・交流の場を提供・縁結びをサポート③おたすけ隊・・・ボランティアでハッピ-マジックの広報や会員促進・イベントの協力

2、子育て支援事業(15項目に亘る活動支援事業)

3、定住促進事業

具体的には①新婚世帯家賃補助事業・若者の市内定住を目的に、家賃5万円以上の市内民間住宅に居住する新婚世帯に月額1万円[最長3年]を上限に助成しております。②通勤・通学者交通費助成事業・市内居住地より高速バスで通勤・通学を奨励するため交通費の助成・通勤者20%島外通勤者30%島内通勤者20%の助成をしています。

4、男女共同参画の推進=「南あわじ市スマイル、スマイル、プラン」に基づき、市民フォーラム等で男女共同意識の向上を図ること等があげられます。出会いから結婚、子づくり、青少年の育成までライフ・ステージは幅広く多くの事業が実施されておりました。

一般に行政部局は単体であり、縦割りで、横の連携が少なく情報不足であるといわれます。また、市民のニーズを十分理解しているとは思えない事由が多々見受けられる中で、南あわじ市は合併後、市民と行政が一体となって、人口減少に歯止めをかけ、新市の永続的発展につなげようと、少子対策事業に熱心に取り組んでいることについて、資料や説明から考えさせられました。

運営組織機構ですが、少子対策本部を設置しており、市長を本部長とし、少子対策課、健康課、福祉課、保険課、教育委員会がリンクされており、横の連携が新たなアイデアと活動の原動力になるのではないかと思いました。

また、子育て支援について市民に広く理解し参加活用して頂くよう、「子育て支援ハンドブック」が発刊されており、表紙には淡路島の形の市章をもとに、青い海のおくるみに包まれた、前髪は太陽と鳴門の渦潮をイメージに、赤ちゃんを祝う南あわじ市子育て応援シンボルキャラクターである「ゆめるんちゃん」、車等に貼れるシール「ゆめるんちゃん」が添付されています。この本を開くことにより市民が安心して子育てができるのではないかと思いました。

縁結び事業においては、少子対策課、民間企業、団体及び市民が、一体になって様々な出会いづくりにアイデアとユニークな名称や支援体制となっており、独身男女が参加したくなるようなムードづくりが十分であると感じました。

      

南あわじ市の、中田市長は「子は万代の宝なり」と称していました。本市においても少子化は確実に進行しています。厳しい財政下の中で福祉と教育への配慮もありますが、会派の中では市長本部長の少子対策本部を設置し、単体の縦割り行政から横の連携を図り、本腰を入れるべきであるとの意見が出ていました。

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会派の行政視察報告その1

3月定例会や石巻市長選があって、1月26日から29日にかけ、香川県坂出市(市民広場整備事業について、包括外部監査について、)と徳島県徳島市(市政への市民参加について、市民満足度調査について・まちづくり意見提出制度について)、さらに兵庫県南あわじ市(南あわじ市議会議員政治倫理条例について、少子化対策について)を訪問した会派(ニュー石巻)の行政視察報告が遅れていましたが、ここで2日間に分けて、報告します。

香川県坂出市=市民広場整備事業について】 

まず、調査の目的ですが、石巻市は、北上川の河口に開けた町で、市街地もそこから広がりましたが、そこは衰退の一途。いま、中心市街地活性化の計画づくりに取り組み、市役所がJR石巻駅前の寄贈された商業ビルに移転することになり、駅前から中心市街地への「にぎわいの広がり」を図ろうとしている折、坂出市の市民広場に注目、石巻市の「にぎわい復活」のために学ぶことが大きいと感じ、視察地としました。

坂出市は、香川県のほぼ中央に位置し、かつては日本一の塩の街として栄え、この積み出しなどから昭和26年に重要港湾に指定され、瀬戸内海と共に発展してきたまちであります。

しかし、この塩田も昭和46年にすべて廃止になり、塩田跡地90ヘクタールを都市区画整理事業として開発しており、その後も820ヘクタールの開発が進み、近年は臨海部の620ヘクタールの埋め立てにより企業誘致が進み、臨海工業地帯の形成により、瀬戸内海工業圏の中核都市として重要な位置を占めるまちになっております。

さらに、四国島民の長年の夢であり希望であった瀬戸大橋が昭和63年に完成し、四国側の玄関となる需要拠点としてさらな交流の拠点を目指したまちづくりを進めておりました。このような状況下にあっても、JR坂出駅周辺の中心市街地では、時代の移り変わりや車社会に十分に対応しきれない状況が続き、まちづくりにも影響を及ぼしている状況でありました。さらは大きな要因として、市街地を東西に走るJR予讃線のため南北交通を分断されるため、中心市街地活性化のためのまちづくり計画を策定できない状況が、長年続いたようです。

そこで市として、総事業148億円(市負担分95億円)で延長3.2kmの鉄道立体交差事業を、昭和63年より取り組み、平成9年に完成することにより、これまでの中心市街地活性化の阻害要因が取り除かれ、南北の交通が可能になり坂出駅周辺整備主要プロジェクトが策定されております。

坂出駅整備主要プロジェクトは、平成8年から17年度までの10年間に、11事業からなる駅周辺の整備を集中的に取り組み、基盤整備をする事業であり、その中の一つが、市民広場整備事業(A=7,000㎡)であります。

主な事業としては、①南口拠点整備区画整理事業(A=3.6ha)②.公共公益施設及び公園整備(A=1,080㎡)③北口駅前地下駐車場(126台)④高架下駐輪場整備事業⑤北口市街地再開発事業⑥街路整備事業(4路線)⑦市道整備事業(4路線⑧香風園整備事業(都市公園)、⑨ふれあい会館建設事業⑩連立事業負担金(側道)となっており、総事業費約160億円の事業です。

           

市民広場整備事業の特徴は、北口駅前広場(7,000㎡)を交通拠点として位置付けただけでなく、多目的に使えるよう中央部のすべてを段差のないフルフラットに整備を行うとともに、併せて地下に駐車場を設置しております。

また、広場内の樹木、草花はすべて大型プランターに植栽し、交通標識も警察協議によりボルト止めにより設置し、照明はセミハイマスト柱の設置により本数を減らし、噴水も段差を無くすため地面下より霧状に噴出させ、瀬戸内海の霧をイメージするなど工夫を凝らすことにより、地上部にあるほとんどのものを移動でき、様々なイベントが駅前広場、市民広場を使って開催されていました。

市民広場の整備に当たっても、駅前広場と一体になるよう段差を無くすとともに、周囲には樹木やシェルターそして野外ステージ、公衆トイレを設置し、中央部はマサ土で整地しゲートボール大会なども開催され、子供からお年寄りまでの幅広い交流の場として、にぎわいの創出が図られておりました。

さらには、地下には耐震性貯水槽(100t)を埋設し、防災広場としての役割も果たしていました。

160億円を投じた駅周辺整備主要プロジェクトの完成により、駅周辺の拠点性やアクセスの向上が図られると共に、区画整理事業地内でもマンション建設も進んでおり、中心市街地活性化計画の一要件でもある、まちなか居住人口の増加にも繋がっており、中心市街地活性化に寄与していて、市民広場や駅前広場を使った各種イベントの開催により、市民の交流拡大が図られ、まちのにぎわいやコミュニティの連携を取り戻す一助となっているとのことでした。

今後の課題としては、厳しい財政状況下ではありますが、市民との協働によりイベントの充実と共に、施設の有効活用を図り、中心市街地のにぎわいやコミュニティの再生に努めながら、まちづくりに取り組んでいきたいと考えているとのことでした。

坂出市は昭和17年林田村と合併し市政を施行し、その後昭和26年から昭和31年までに近隣6カ村との合併で現在の市域を形成しております。面積で92.46k㎡、人口56,000人で、平成20年度は一般会計212,944,000円の内、自主財源構成比62.4%であり、財政的に当市より数段豊かな港湾工業都市として発展を続けている港まちです。

これらのもとをなしたのは、先人による大開拓事業(製塩地)で基礎を作り、昭和26年に重要港湾指定、昭和48年番の州の埋立ての完成、昭和46年瀬戸大橋架橋の完成により四国の玄関口にふさわしい都市基盤の整備が求められる状況下にあったと推察されます。

まず第1に、坂出市の都市基盤の整備の中で注目すべきは、市街地を南北に分断していた鉄道を、昭和63年に事業認可を受け長い年月をかけ平成9年に開通し、新駅舎の完成、側道の整備が進むなど、周辺環境が整って来たことが上げられます。

石巻市にも市街地を南北に分断している鉄道があり、この鉄道が都市基盤整備のネックとなり、手付かずのまま現在に至っているのが現状です。しかし、この時点で連続立体交差式にできるかどうかは、議論が分かれるところです。ただし、石巻市役所が駅前に来年1月には移転することで、駅前の整備は待ったなしです。今のままでいいとは思えません。

それにしても、坂出市の計画規模には度肝を抜かれました。

香川県坂出市の包括外部監査制度について】

まず、調査の目的ですが、石巻市では、平成9年6月に地方自治法の一部改正により創設の同制度をまだ一度も活用していないし、条例もありません。しかし、この間周辺1市6町との合併で「駆け込み建設」も含めた施設が増え、維持費が増大し、市財政を圧迫しています。されど、市民サービスの低下は避けなければなりません。

そんな中、公共施設の指定管理者制度の拡大も進んでいますが、運営や資産管理等は適正なのかどうか。外部の目から地方自治体の事務をチェックすることも必要と考えたとき、坂出市の具体的な取り組み事例を元にして制度活用を学ぶ意味は大きいと感じました。

制度の導入の背景には、行政当局の裏金づくり、官官接待などが発端となって生まれた法改正がありました。坂出市と議会は平成14年、公金支出の透明性を図るため、いち早く外部監査の条例化に踏み切り、今日の制度活用に結びついていました。

外部監査制度には、包括外部監査制度と個別外部監査制度があり、坂出市では包括外部の方を採用しました。この制度では会計年度ごとに一回の外部監査が実施され、透明性は十分確保できるという判断です。期待できる効果などは、①監査制度の独立性、専門性の向上②行政の透明性、市民の信頼性の向上③適正な予算執行の確保④監査委員監査の補完性による監査機能全般の充実などでした。

監査人は公認会計士にお願いしていました。費用は基本費用に執務費用、補助者執務費用と消耗品等を合算して年間700万円を上限としてきました。監査項目は、年度ごとに異なり、平成14年は水道と下水道事業、15年度は人件費と人員配置、委託事務について、16年度は資産管理について、17年度は市立病院の自立性について、18年度は債務について、19年度は補助金について、20年度は広域事業や認定事務についてを対象にしていました。

監査は単に金額があっていれば良いという時代ではなくなったと感じる昨今、外部監査は有効と思います。職員の緊張感が違ってきますし、お金の有効な使い方だけでなく、職員の仕事の中身まで外部からアドバイスされる機会は、そう多くないことなので必要と感じました。

さて石巻市への導入ですが、大変良い制度であり、職員の刺激にもなり、緊張感を持って公金を動かしているという認識を持つ上でも、導入すべきと考えますが、問題は費用です。坂出市は年間700万円、全国的にも少ないところで350万円、一番多い東京都では3,500万円と聞いており、懐とよく相談する必要があります。安易に導入することは難しいと考えます。懐具合については、石巻市の悲しいところではありますが、700万円は議員1人分以下、副市長の報酬の6割であり、ひねり出せそうな費用ではあると感じてきました。

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日曜日に「女性の会」討論会を覗く

 日曜日(26日)に石巻を考える女性の会主催の討論会を覗いてきました。「ここがいいのよ石巻」と言ったタイトルだったと思いますが、ゲストの後藤宗徳石巻観光協会長、高成田享朝日新聞石巻支局長の話を聞いてきました。内容は新聞で見ていただきますが、最後に私にも振ってきました。私の発言は、新聞には出ないので、少しここで明らかにしますが、シャッター通りをこじ開ける手立てなどまちおこしの持論を簡単に述べるとともに「一人ひとりが持っている人脈や縁を石巻市のために活用したら、石巻を好きになる人が増えます」と述べてきました。

 私は平成19年3月の定例議会で「人脈を活かしたまちづくり」をテーマに一般質問しました。私は、その年の春に雄勝で開かれたステンドグラス・アーティスト30人展の際、期間中3回開かれたコンサートのお手伝いをしたり、秋に石巻市民会館など3ヶ所で開催の関西のセミプロ女性合唱団・紗羅公演でも、チケットの販売ほかの手伝いをし、その縁が東京にできたり、関西にでき、今年の川開きにはその接待も、石巻の仲間と行う予定でいます。会えば多分、「また石巻で何かやりたいね」です。

 ステンドグラスでは東京など関東方面に住んでいる製作者約30人が、事前の調査も含めて3度も雄勝に来ていますし、合唱団は10数人が石巻市内に2泊して帰っていきました。「石巻大好き」と言ってくれているかどうかは、まだ分かりませんが、交流をつないでいくことが大切と思い、連絡を取り合っています。

    「海城さん遺作展」にコメント

 佐藤海城さんの遺作展を先日、この欄で紹介いたしましたら、奥様からコメントがありましたので、読んでください。左下の最近のコメントで開けます。3日間で300人入ったということですので、すごいです。ほかにも、もう一人の方がコメントを寄せていました。

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コメントに感謝、そして「海城」さんの遺作展

 きょう(24日)午後、メールを開いて見ました。実は毎日点検してはいないのです。「どうせ、何の便りもないだろう。あるのは、迷惑メール(出会い系とか、成人向き画像とか、ネット販売など)だけ」と思い込んでいるものですから、数日まとめ読みをしながら、迷惑メールの削除作業をしているのです。案の定、メールの数は一週間で1400通を超えていました。うち、迷惑メール以外は12通ありました。

 実を言うと、12通は「しか来ない」のではなく「も、来ていた」というものでした。うち、4通はこのブログへの書き込みでした。この欄の左側に「最近のコメント」があります。ありがたい励ましばかりです。どうか開いて読んでください。ここで、いろいろ会話を重ねたいと思います。

ただし、お願いです。私はここの欄で他人の悪口は書いてこなかったと自負しています。その点は平にご容赦願います。行政のあり方などまちづくりに関すること、議会や議員のあるべき姿などは辛口でも結構ですので、どうか書き込んでください。一緒にいいまちを築いていくためにも、ここでいろいろ会話を深め、その輪が広がることを期待したいものです。

ブログへのコメント以外にも、初期画面の中の下の方に「ゲストブック」があります。そこにも二人の元市民が感想を寄せており、私の返答も書かせていただいていますので、ぜひ開いてください。

◇     ◇      ◇      ◇      ◇

 午前中、駅前北通りのナリサワで開催の「佐藤海城(孝夫)」遺作展を見てきました。彼とは約30年、石巻日日新聞社で同僚でした。彼は営業、私は編集の仕事をしていましたが、私が辞めて何年も経たないうちに、私同様60歳前にして、退職しました。私は議員の道へと進みましたが、彼は趣味を通しての生き方を願っていたようでした。

 「退職したなら、『不羈庵(ふきあん=拘束されずに自由な質素な家―と言う意味でしょうか)』と自ら名付けた土地で好きな野菜を作り草木を育てて静かに残りの人生を送りたい…と夢を抱き、歩き始めてところの病気の発症でした。病魔は確実に身体を蝕み、11ヵ月の闘病の末祈りも届かず逝ってしまいました」。遺作展のしおりに書かれた文ですが、彼の死は残念です。大人になってから、学んだ数々の趣味の世界はいずれも達人、名人クラスです。「篆刻」の部門で、河北展の審査委員にも選ばれて、さあ、これからと言うときに、逝ってしまったのです。

 作品を見て、いい言葉を書にしていたことに驚きました。「苦しいときに、逃げない」「あたりまえが一番尊い」「思いやりにほほえみ」などなど。また、彼が病魔との闘いの中で、それを看病しながら書いた奥様の作品には、目頭を熱くさせられました。26日までですので、ぜひご覧いただきたいものです。

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電話で慰められています

 負け戦から、明けて二日。慰めの電話をいただいています。「しょんぼりして、ふてくされて寝てんじゃないだろうね」とか、敗因を並べる人もおりました。中には、「来年は、あんたの選挙。応援するから、がんばれ」と励まされたりしています。どれも、私を案じておりまして、友達ってうれしいと言うか、ありがたい存在だなと感じました。

 中には、相手方を押した友達もいて、「今度は野党なの」とからかってくる人までいましたが、私としては大様に対応しています。「議員は野党与党ではないよ。常に是々非々」と、指摘をかわしています。そして、からっとした口調で「今度はオレだから。きょうから来年へスタートです」と、呼びかけています。電話してくる人だから、語れば分かる人たちですが、「負ければ賊軍」が今後どう広まっていくのか、じっくり見極め、対応していきたいです。

 なお、「ゲストブック」に2通の私への激励ほかが届き、私のコメントも掲載されていますので、開いてみてください。

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今村の石巻らしさとは何だー

      戦いが終わって 「ヨシ原日記」を覗いてみたら

 完敗です。昨夜は友人と遅くまで飲みました。カンパイは完敗でなく、勝利して乾杯したかったーと言うのが、偽らざる気持ちです。負けの要因はいろいろあるでしょうが、それはここでは示しません。

 今朝、久しぶりに旧北上町の元議員さんが書いている「ヨシ原日記」を開きました。早々と選挙結果が出ていました。時々は覗いて、まちづくりの参考にさせていただいています。文面から、当選した市長が示したマニフェストへの関心は「各総合支所への予算配分」のように見えました。

私も大変関心があります。東松島市は「協働のまちづくり元年」として、市内を8つに区切り公民館を市民センターとして、センター長を民間から登用、地域づくりの組織もそれぞれ出来上がり、動き始めました。予算も当然付いています。

私がかつて住んでいて、発足時から13年間事務局長をしてきた赤井コミュニティ推進協議会も、今年3月発展的解散をしました。活動の中で全国のふるさとづくり賞(当時としては全国6ヵ所表彰)を受けるなど、評価された団体だけに、一抹の寂しさはありますが、新組織でのまちづくりに大変期待を持っています。

実は、選挙の前哨戦から何かと忙しく「ヨシ原日記」とは久しぶりの”対面”です。読んでいるうちに「石巻 街おこし論」がありました。「石巻若者ネットワーク」主催の討論会(4月10日開催)のことが、紹介されていたのです。そこには私もパネラーとして出席しておりました。その中で新聞に載った私の「石巻らしさ」とは何かーとの問いかけがありましたので、そのとき言った内容を思い出しながら、まとめてみます。

今村の石巻らしさとまちづくり論

 まず、中心市街地は「まちの顔」「石巻市の顔」です。なぜか。全国の主要な都市のほとんどが400年前に形成されました。つまり、関が原の戦い(1600年)後の諸大名の配置によって、強大な権力者の強いリーダーシップによって、基礎ができました。石巻は城下町ではありませんでしたが、伊達政宗の命を受けた川村孫兵衛重吉の北上川改修によって、「海に扉を開いた都市」が誕生しました。北上川の舟運を利用して、また東回りの航路の重要港湾として、千石船が江戸と行き来し、江戸では石巻から搬入の米が消費の半分以上を占めていたと言われています。

 また、北上川の治水によって美田も開けました。さらに、現代につながる漁港としてのゆるぎない地位も含め、石巻の産業基盤形成の原点は400年前にさかのぼると考えたいのです。400年前の石巻の中心部こそが「顔」として位置づけられると思うのです。

 まちづくりを考えるとき、「らしさ」を生かすことが大切です。「らしさ」は多くの場合、まちの歴史、風土から求められます。そう考えると、石巻は「海に扉を開いたまち」から、「らしさ」を見つめたい思うのです。歴史の中から今の中心市街地が「まちの顔」となり、そこから「石巻らしさ」が醸成されていったと解したいのです。

 私は平成18年9月定例会の一般質問で「歴史に学ぶまちづくり」について質問しています。「一体石巻は、なんの街」と言う問いかけに、自分自身がこたえたいためでもありましたが、川や海にかかわってきた人や船への興味もあり、多岐に亘っての質問となりました。

海に扉を開いた石巻市から、場所は月浦からですが、サンファンが出航したのは1613年。まもなく400年です。渡波に立派な施設と復元船がありますが、私が注目しているのは支倉さんでなく、セバスチャン・ビスカイノと言う人物です。詳しいことは後に書きますが、彼はのちに三陸沿岸を船で調査し「金銀島探検報告書」をまとめています。

 サンファンはイタリアだけでなく、ビスカイノと言う人物を通しスペインや大航海時代の探検家たちの世界を、石巻市に結び付けていく面白さが沸いてくるのです。ロシアとのつながりは、なんと言っても「若宮丸」ですが、探検家・ベーリングも忘れてはならないと感じます。

東回りの航路によって、石巻は東日本屈指の貿易港になリましたが、その主要な産物は米で、今の住吉や湊に南部、一関など東北諸藩の米蔵が立ち並んでいたと言い、後年石巻を訪れた松尾芭蕉は「数百の廻船入り江に集い、人家地を争いて、竈の煙立ち続けたり」と、その繁盛ぶりを「奥の細道」に書き残しています。

私は、そうした歴史が分かるコーナーを中心市街地に設けたいと言う気持ちでいます。それは「施設」ではないのです。言ってみれば「コーナー」です。空き店舗を誰かが使いたいと言うとき、その一角を「コーナー」にして、「海外雄飛と支倉常長の一生」「マルコポーロが見た黄金の島・ジパングとビスカイノ」「江戸市民の腹を満たした石巻」「世界一周若宮丸と石巻」「芭蕉が見た石巻の風景」など、ちょっと上げただけでも「5コーナー」になりましたが、空き店舗の一角に設けられないかというものです。

「一角を借りる」など設置方法はいろいろありますが、基本は「ゼロ予算」です。市の職員と地元の研究者が一緒になってコーナーのあり方を考え、お金をかけずに手作りが中心となります。

「人と船」と言う点では、昨年注目の「アラスカ物語とフランク安田」や「密航船水安丸と広淵開拓」など、新田次郎作品。また「戊辰戦争で戦火から石巻を救った人」「内海橋架橋と五郎兵衛物語」も、北上川と太平洋につながるストーリーを持ったコーナーといて十分展示が可能と思われます。

低気圧の墓場と言われる北洋の海を命懸けで切り開いた石巻の船員たちの歴史も大切です。漁船に関する資料も、あるいは歴史も物語も、街の中にくれば分かるというコーナーがあちことにあったら面白いーと思うのです。

「石巻らしさ」は単に歴史を紐解いて理解できるものではありません。言語の方から、つまり方言から攻めての「石巻らしさ」、食の文化からみた「石巻らしさ」もあります。いちいち書きませんが、中心市街地活性化のソフト事業として掲げ、その実践で「一つでも二つでも空き店舗のシャッターをこじ開けたい」と、先日の討論会で申し上げました。

空き店舗の活用でこつこつ資料を集め、やがて北上川の堤防建設の段で、あるいは現在の市役所跡地を活用の際に、まとまったコーナーが設置できる施設の建設ができることを期待しています。

「らしさ」を明快にはできませんでしたが、海に扉を開いたまちの「人と川と海と船」だけでも、その人情、気風が伝わってくるような、「石巻(らしさ)研究」ができる中心市街地にしたいと言う夢を持っています。

なお、「ヨシ原日記」は下記で開けます。

http://asihara56.cocolog-nifty.com/blog/

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戦い終わって投票所へ

 他人の選挙ながら、よくぞ毎日いろいろと行動できたものだと、思っています。でも、投票日を迎えた今、あれも、これもとやり残しばかりが頭をよぎり、勝利を信じているにもかかわらず、どこか落ち着きません。

 広報車に乗っての街頭宣伝では、ほぼ100回の街頭演説を行ってきました。同乗のウグイスさんに「来年の練習になりますね」などと、おだてられながらも、一日で30回の演説を行ったときは、他人のこととは言え、自分にプラスになるものと思い込み、その後の運動の継続につながっていったようです。

 いい天気に恵まれた投票日ですが、投票率にどう作用するのかー。いろいろ考えています。4年前は市議選との同時選挙で、高い投票率でした。きょうは行楽日和の単独選挙。やや心配です。午前11時現在の推定投票率は21.47%で、前回より5.61ポイント低いと言うことです。

 私は妻と一緒に午前10時過ぎに投票所へ。一票を投じると言う行為は、いつもそうなのですが、何か責任を果たしたような、清々しさを感じるものですね。今の願いは「今晩いい酒を飲みたい」という一点だけです。

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少し言いたいことを書かせていただきます

 石巻市長選で新聞の見出しは「刷新か、継続か」となっていました。私は「好きです、石巻」の広報車に乗って、前哨戦のときから「継続は力です。継続が夢を実現します。継続こそがまちの安定、発展につながります」と、アナウンスしてきました。その点では、新聞の見出しの半分は当たっています。

 では「刷新」はどうか。「刷新」とは、悪いところは改め、まったく新しくするということです。「人事の刷新」といいます。それも、当たっているようです。
  ですが、私には刷新の前に継続です。継続する中で、改めていくべきは改めていくことが大事です。すべてをリセットはできません。

 どちらを市民有権者が選択するか、注目されますが、心配なのは「なぜ、刷新なのか」についてマスコミ等がその理由を並べ連ねることです。その陣営が言う点には、戦いですので許容されますが、新聞ともなれば穏やかではありません。

 議会の中で「賛否」を問う案件について、原案なりが否決されたとき、その表決の結果は議長を除き15対18でした。つまり、賛成も15あったのですが、否決は全否定のように映ります。青果市場の移転の問題でも「東松島市に移ったのは、失政だ」と指摘しているようですが、そう断じているのは18で、残りの15は違いました。

 むしろ、15人の議員は、当時(19年6月)としては20人の勢力で、市長に対し「現在地での市場の整備計画をやめ、須江を含めた石巻市内への移転して整備」を訴え、方向転換をしていただきました。その後まもなく、全議員の一致と言う形で市長に申し入れ、その方向で動きました。

ところが、当時としては13人の勢力が合併前の庁内協議と青果市場関係者との交渉ごとを掘りくり出し、「青果市場を痛めつけている。いじめている」と言い出し、結果的に「いじめられた結果、石巻市に嫌気をさして東松島市へ移転した」と言うシナリオを作り上げた感じでした。

 青果市場㈱は東松島市移転について「利便性重視」と、その理由を語っていました。先日、青果の社長とあった際も「赤井は石巻市と同じです。東松島市とか石巻市とかではなく、いい市場を作りたい一心で、決めさせていただきました」と言っていました。私は、石巻市の議員ですから「石巻市」にこだわりを持ってきましたが、今となれば青果市場㈱が「安心安全の食の流通拠点として、成功していただきたい」と真にそう思っています。

 だから、悔しさはあっても次につなげていくことを考えたいのです。それを、東松島に行くと決まっていないときから、経緯経過について、重箱の隅を突くような議論を展開したら、誰だって石巻市の政治環境を嫌います。さらに移転先を隣町に決めたら、今度はその責任追及ですので、何か既にストーリーが出来上がっているような印象を受けたのは、私一人ではありません。

 そうした考察部分もはっきりいって、世に出すことができず、せいぜいこのページでものをいう程度です。そんな中で、新聞等の繰り返しの報道による影響は、はなはだ大きいと言わざるを得ません。

 「オラレ」も悪者になってしまいました。ギャンブル施設についてアレルギーを持つ方は確かに少なくはありませんが、「オラレ」は娯楽施設と変わりません。私は「多少毛色が違った、小さな娯楽施設」と言う受け止め方をしてきました。だから、にぎわいもホンの少々という期待です。でも、コミュニティ施設を兼ね備えていることで、イベントが開かれたり、地域の集まりにも使えます。

 さらに、「オラレ」の益金のうちから年間2300万程度、石巻市に入ります。それを、1000万円をまちづくりに使っていただき、残りを教育や福祉に使うと言うことですから、今とすれば「逃した魚は大きい」と言わざる得ないのです。しかも建設費はタダ。そういうおいしい話を「濡れ手に粟」と言いますが、石巻市は議会の18人の勢力によって葬られました。残念です。

 青果市場を「存地整備」から「市内移転」へと方向転換したにもかかわらず、結果責任を執拗に求める姿勢は正しいのかどうか、私には解せません。さらに、「オラレ」についても、どれだけその利点を説明してきたか。それでもなお「説明不足」と「拙速」は、指摘する側の勉強不足をそのまま表しているように感じてならないのです。

 きょうのところはこの辺でやめます。あすは、「アレだけ騒いだパワハラ問題とは、なんだったのか」について。

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あすから選挙戦

 しばらくご無沙汰しておりました。自分の議員活動報告リポートを作ったり、それを配ったり、また支持を決めた市長選候補者のサポート集団が繰り出している広報車に乗って、一日20箇所での街頭演説をするなど、少しばて気味です。それでも、昨夜(10日夜)は、中心市街地活性化の取り組んでいる若者が主催する討論会に出向き、パネラーとして「石巻らしさ」について、話してきました。

 あすはいよいよ、市長選が告示。19日の投票日に向け、自分の選挙同様にフル回転します。初日から、街頭に立ち、また個人演説会での弁士にもなり、奮戦するつもりです。だから、また、しばらく書き込みができないかもしれません。一週間後にでも、選挙奮戦記とともに、あすの石巻を考える特集でも組んで、書き込みたいものです。あくまで希望ですが…。

 一週間ぐらい前から、私の議員活動報告のチラシを配っています。それはA3裏表一枚です。

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