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出雲の神様の思し召し? 出会いの研修

 14日まで、山陰地方を行政視察してきました。具体的には後にお知らせいたしますが、最終日の14日の午前9時半ごろ、訪問先の山口県萩市の博物館会議室で、突然「石巻市と言えば、わが町出身の川村孫兵衛さんのご縁があり」と述べられ、一瞬ドキリと致しました。孫兵衛翁が「長州藩士」であることは知っていましたが、萩との絡みを意識していなかったため、正直驚きました。何しろ、孫兵衛翁は伊達政宗公の命を受け北上川を開削し、石巻港を開いてくれた人で、大恩人。毎年夏に開かれる川開きは孫兵衛翁に今日の繁栄を感謝してのイベントですからね。

 その席上にゲストとして、萩市観光ボランティア協会の中村芳生会長がお見えになり、平成1499日に掲載の石巻日日新聞の記事コピーを示し、「6年前お世話になりました」とあいさつをいただきました。中村さんは8年ぐらい前に偶然、「仙台の運河を掘った人が萩市三見の出身」と言う文献を知り、いろいろ調べた後に仙台、石巻への調査の旅を行い、川村孫兵衛にたどり着き、「萩ではほとんど知られていないが、北上川の開削など多大な功績を残し、石巻市民に感謝されていることに感動した」と語っていました。

 その後、中村さんは地区の公民館だよりに「孫兵衛と石巻」を連載するなど、萩市内で孫兵衛翁の功績を伝えてきたといいます。その成果でしょうか、その後に訪問した伊藤博文公別邸で観光ボランティアをしていた男性も孫兵衛さんを良く知っていました。「サンファンと支倉も石巻だったね」など、萩ものしり博士のこの男性(ご当地検定で55人の認定)は「さすが」でした。それも中村さんのお陰です。

 そんなわけで、私たち「石巻市議会ニュー石巻」の会派研修は、地元のケーブルテレビ(萩ケーブルネットワーク)の取材を受ける形になりました。私は記者のインタビューに答えるなかで「孫兵衛さんが意識にありませんでしたので、ここに来て、大変驚きました。孫兵衛さんの北上川の開削事業は単に水害から人々を守るだけでなく、優良な水田開発にも貢献し、しかも河口の石巻市を奥州一の港にしました。藩政時代、孫兵衛さんが造り替えた北上川を利用して、仙台藩、南部藩などのお米が石巻に集積され、町はにぎわいました。そのお米は石巻から海路江戸に運ばれ、本石米として江戸100万市民の半分以上を占めることになりました。ですから、孫兵衛さんは石巻市の大恩人です。毎年81,2日に開かれる石巻市の最大イベントである石巻川開きでは、孫兵衛さんへの報恩感謝から始まります。イベントの前に関係者が墓前に花を手向けています。萩市とは運命的な何かを感じました。今後、交流ができるといいですね」と言いました。

 萩市は、関が原の戦いで破れた安芸(広島県)の毛利氏が移られて、毛利家3代輝元公が築いた城下町です。幕末に吉田松陰ら勤皇の志士が活躍する場となります。つまり、いまNHKテレビ「篤姫」に盛んに登場の長州の拠点が萩でした。松陰は実は嘉永5年(1852年)36日に石巻に来て、日和山に登り市街地と海を一望、宿泊しています。そのにぎわい振りなどの感想を「東北遊日記」に記しています。古の縁が今に通じていることを感じました。なんだか、朝の連続テレビドラマの主題歌そのままな感じです。

そう言えば、前日の宿泊地は出雲市でした。出雲大社だけは「神在月」だそうです。萩との関係は縁結びの神様の思し召しでしょうか。もう一つ、縁がありました。出雲の夜の食事で隣り合わせたグループの1人の女性がナンと石巻市の出身でした。「錦町の生まれで、山下小、石巻中、石巻女子高の出身」でした。ほんの数分でしたが、歓談しました。八百万(やおよろず)の神々様、ご縁を「だんだん」。いい研修と出会いをいただきました。

018 行政視察研修にテレビカメラが入りました。その後、私(今村)は記者のインタビューを受けました。

なお中央でお話しているのが、かつて石巻を訪れた観光ボランティア協会長の中村さんです

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