今回もまた「一週間のまとめ書き」です。お許しください。
知人の訃報相次ぎました
今夜も知人の通夜に向かいますが、今週も先週と同様お二人とお別れを致しました。うち3人は私と同じ年でした。生者必滅は世の倣いとは言え、近親者にとっては辛い別れであることが、伝わってきました。
地域のパワーを見たソフトボール大会
文化の日の3日朝、稲井中学校に出向き「第12回まつたけ杯ソフトボール大会」を覗いてきました。地域を挙げた催しであることが、大会プログラムや用意された賞品、あるいは実行委員会のメンバーの数や動きから、すぐに分かりました。
参加した中学校は地元の稲井中のほか、仙台の五城中、塩釜三中、鹿島台中、津山中、それに近間の河北中、女川一中、山下中の八校でした。途中、稲井のお母さんたちが作ったトン汁を食べながらの交流もあり、ソフトボールを通じて友情も生まれたと言うことでした。
コンテナ船の上から見た風景
5日午後、石巻工業港へ。そこに日本通運のコンテナ船「うらが丸」(宮本清治船長、5818トン)が入港していました。この船は高松、水島、大阪、苫小牧、釧路を経て石巻に寄港し、四国の高松に戻ると言うコースを一週間のサイクルでたどるものとして、この日初めて石巻に立ち寄りました。つまり、初就航なのでした。
この日から、毎週水曜日に日本製紙石巻工場からコンテナ100個(500トン)の荷を積み関西方面に海路輸送することになったのです。コンテナ船の就航は画期的なことです。今後が大変楽しみです。
就航の歓迎セレモニーのあと、船内見学をしました。今年は夏以降、帆船に乗ったり、護衛艦にも乗船、そして今回のコンテナ船と、大きな船に縁があります。コンテナ船の操舵室は高いところにあり、そこから観た港は格別です。「オッ、港は生きている。息づいている」―。実際には目にすることのできない工場内で働いている人の姿まで見える感じがしました。
港って、まさにゾクゾクですします。オカでは感じない魅力が船に乗って分かります。「この風景は、古里を学ぶ上で欠かせない」と感じました。同時にそう感じるのは、原風景として港を持っているからでしょう。幸せなことです。
考えてみると、海や港を抜きに石巻の過去も今も語れません。支倉常長やサン・ファン・バウティスタ号、江戸への東回り航路の拠点港と千石船、さらにフランク安田や高橋英吉を生んだ土地柄、一夜で消えた野蒜築港、命を懸けて北洋の漁場を開拓した男たち…。どれも海に扉を開いた町の歴史です。それは海や港が、町づくりや人づくりの原点にあるということなのかも知れません。ふと「港は母の懐かな」と感じました。石巻港に、そんな躍動的であったかいイメージが広がっていました。
議会関係の動きもありました
4日午前9時30分から開催の会派代表者会議に、代理で出席しました。30分前の要請に慌てましたが、どうにか滑り込みセーフで会議に出席できました。議題は7日の本会議のあとに開かれる全員協議会の持ち方でした。これまでの全員協議会は{当局の話を聞きおく程度」でしたが、議会改革の一環として協議会の前に会議を持ちどうするかを決めることになり、結果的に「事前協議にあたらないように、その後開催の特別委員会に配慮するように、質疑を行う」と言う感じで、取りまとめられました。
その日午後1時半からは、議会運営委員会が開かれ出席。その後の会派会議でそれら会議の報告をしました。また、10月に実施のそれぞれの常任委員会の報告や、会派で11月中旬に実施の行政視察についての事前訓集などを行いました。
7日は午後1時から、市議会臨時会が開かれました。ペアーレ石巻を石巻市が入札に参加して取得することになりましたので、その関係条例と予算が提出され、いずれも可決されました。
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