2週間も前になりますが、大阪音楽大学の学生さん30数人が、石巻市を訪れ、小中学校など10カ所でクラリネットアンサンブルによる演奏会を開いてくれました。私は2週間前の8日夜、石巻グランドホテル・ロビーで開いた演奏会に同世代の仲間たちと一緒に足を運び、懐かしいリズムに心も体もうきうき。楽しい一夜を過ごさせていただきました。
「スウィングジャズ」の定義は分かりませんが、音大生が演奏してくれたのはグレン・ミラーの代表的な「ムーンライト・セレナーデ」「イン・ザ・ムード」「茶色の小瓶」など。戦中から戦後に掛けて大流行したらしいですが、よくは知りません。ただ世界的なヒット曲というのは、最近の歌謡曲のようにすぐに消えて忘れ去られるものと違ってヒットの年月が長いですね。「スウィングジャズ」というか、グレンミラーの名前と共に、半世紀以上も演奏し続けられています。
ところで、懐メロが流れると、何故かそのころの風景や周囲の人の顔が浮かんでくるものです。元NHKアナウンサーの中西龍さんは、ラジオの歌の番組で「歌に思い出があり、思い出に歌が語りかけ、そのようにして歳月は静かに流れていきます」というナレーションを必ず流しました。
8日夜に聴いたジャズからも思い出の映像が浮かび上がりました。私が少年期に住んでいた石巻市の繁華街は、戦後ヤミ市が並んでいたところです。物心がついたころには、ヤミ市は商店街に変わり、行き交う人の肩と肩がぶつかるようなにぎわいもありました。路地を入るとダンスホールがあり、夜には赤い灯、青い灯のネオンがまぶしい世界が広がっていました。
昼は昼でおびただしいほどの音楽が街に流れていましたし、夜は夜で また趣の違うメロディが、耳の中に入ってくるのでした。ジャズはどこから流れてきたのか、今はよく分かりませんが、8日夜の曲はどれだけの数を聴いたか分からないほどのヒットナンバーでした。
それでいて、なぜか新鮮でした。10代と20代初めの若い大阪音大の学生さんがクラリネットだけで演奏したためでしょうか。最後の曲「シングシングシング」では足を鳴らし、手拍子でリズムを合わせていました。
今、64歳。今後、何年生きるか分からないですが、「グレンミラー」と言ったら、「あの時、大阪音大の学生さんたちのクラリネットで聴いたあの曲か」と思い出すことでしょう。中西龍さんの言葉のように、きっと演奏会の後の同世代の男女10数人の交流も思い浮かべることでしょう。
かつてにぎわった石巻市の中心市街地は、ここ10数年間で寂れました。そして3.11の東日本大震災。津波で街は壊滅的なダメージを受けました。いろいろな映像を浮かべながら聴いた「スウィングジャズの夕べ」でした。生涯忘れられない夜になったような気がします。
大阪音大の学生さんたちにも、石巻での演奏会を「グレンミラー」と共に、思い浮かべてください。無理かな? でも石巻にいる人間として「大震災の現場を見て強行日程の中を演奏活動した学生さんには、石巻を忘れられない演奏地になるはず」と、私は信じています。
とりあえず、今日はここまで。またいつか、続きを書きます。
最近のコメント